パチンコの面白さって何だろう(明るいエンターテイメントをめざして)
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  • 大学名  :  関西学院大学
  • 氏名  :  井上春香

1 はじめに - 小さな体験

    父に連れられて、私が初めてパチンコホールへ行ったのは、小学校低学年の頃だったと思います。家にパチンコゲームがあったので、それと比較して実際のパチンコ台は、随分と立派だったという記憶があります。それ以来パチンコホールを外から見ることはあっても、中に入ることはありませんでした。

    父にお願いして、久しぶりにパチンコホールへ連れて行ってもらいました。ショッピングセンターの地下にあるそのパチンコホールは、ターミナルの駅前や繁華街で見かけるもとは違い古めかしい外観の店舗でした。中に入ると、独特の機械音に圧倒されました。ただ、想像していたのとは違って、店舗内はきれいに清掃され、店員の態度もいつも行くコーヒーショップのそれと遜色ないのには驚きました。タバコの臭いもさして気になりませんでしたし、お客さんの半分くらいは女性だったのでそれほど違和感なく雰囲気に馴染めました。

    早速千円札を玉に替えてレバーを動かすと、ものすごい勢いて玉が弾かれていきました。真ん中の穴に玉が入ると目の前の画面が動いて、凛々しい顔をした松平健の写真が出ては消えていきました。もちろん数字が揃って大当たりが出るはずもなく、あっという間に千円分の玉は、台の下のブラックホールのような大きな穴に消えてしまいました。父の方は、可愛らしくデフォルメされた冬のソナタのヨン様が微笑む台で、幾分私より長く玉を弾いていましたが、間もなくブラックホールの餌食になっていました。その後も、大きな口を開けて待ちかまえるジョーズの台へ移動しチャレンジしましたが、結果は同じでした。その間わずか15分ほどだったような気がします。

    玉の行き交うスピードとお金のなくなるスピードに驚かされる体験でした。それから意外とパチンコ台は、機械の香が強く無味乾燥としたものという印象を強く持ちました。しかしながら近くには、席の後ろにドル箱をいくつも重ねている人がいました。恐らく私もビギナーズラックで大当たりを出せば、誇らしく思いながらパチンコ台に首ったけで玉を追いかけていたのだろうと、想像しながらパチンコホールを後にしました。

    その後、ロードサイドのパチンコホールへも行ってみましたが、とても大きな2階建ての店舗には、いろいろな種類のパチンコ台とパチスロが整然と並んでいました。8割ほどの客の入りでしたが、皆さん狭い椅子に腰を下ろして、パチンコ台と正体し、玉の動きや画像の動きを凝視している姿に、不思議なエネルギーを感じました。パチンコホールの小さな体験から、そこには私がこれまでに体験したことのない面白さがあるのだろうという確信が生まれました。

    パチンコ台と向き合う人からは、ストイックに打ち込む精神を感じるのですが、一方でパチンコホールの陳腐でけばけばしい看板や建物には享楽的な薄っぺらさしか読み取ることができません。こうした違和感は、30兆円近い巨大産業としてのパチンコ業界という社会的プレゼンスと、一方では、パチンコをする金欲しさに借金を重ね、雪だるま式に増えた借金で首が回らなくなり、人生を棒に振ってしまう、あるいは、幼い子供を自動車の中に置き去りにしてパチンコに夢中になり、気づいた時には子供は脱水症状でぐったり、といったパチンコに関連する社会問題との間の違和感でもあります。課題は少なくないとはいえ、日本の代表的娯楽のひとつであるパチンコの面白さは、決して薄っぺらなものではなく、これからも人々を引きつける魅力があると思います。したがって、今後もパチンコが娯楽の主役であり続けるには、パチンコの面白さの本質的理解と展望や社会的装置であるパチンコホールのあり方を明確に示す必要があるのだと考えます。

    本論では、なぜたくさんの大人がパチンコに夢中になるのか、また、パチンコの魅力は何なのか、という基本的な疑問について考えていきたいと思います。その際に、「時代の気分とパチンコの関係」「パチンコにはまる理由」「日本文化とパチンコの関係」「パチンコの熟練度」という4つの視点から分析、検討を行います。そして最後に、今後パチンコがエンターテイメントビジネスとして存在感を保持していくための要点をまとめます。

2 時代の気分とパチンコ

    2006年の「レジャー白書」によると、中央競馬の売上は8年連続の減少、地方競馬は前年比7.1%減少、競輪は前年比5.2%減少、競艇は前年比2.4%減少、そしてパチンコの市場規模は前年比2.5%減少、というようにほとんどのギャンブルが右肩下がりの傾向を示しています。これに対して、ゲームセンターの売上は前年比3.0%増、TVゲーム市場は前年比14.0%増、カラオケは前年比2.4%増、宝くじは前年比2.9%増となっています。ヘビーな印象のあるギャンブル娯楽が不振で、ライトな印象の娯楽が好調という娯楽に対する今日的傾向を知ることができます。

    ギャンブルは、社会的立場がどうであれ参加する人にとっては等しくチャンスとリスクが与えられます。条件と運命の平等主義が存在します。ということは、普段の生活では実行できない大きな権力や権威への個人の挑戦という意味があり、ギャンブルに興じる人はそうした醍醐味を楽しんでいるのだと思います。ギャンブルが総じて減少傾向にあるのは、強いものへ毅然と立ち向かうのではなく、あまり意気込まずに手頃なところで楽しもうという時代の気分の反映だと考えます。こうしたライトな時代の気分は、お酒でいえばウィスキーから酎ハイへ、飲料水でいえば炭酸飲料からお茶へという嗜好の変化からも読み取ることができます。「ヘビー」から「ライト」へという時代の気分の変化は、「工業社会」から「情報社会」への時代転換と符合しています。

    20世紀は工業の時代でした。1908年に発売されたT型フォードは、アメリカの自動車社会の幕開けを告げるとともに、大量生産品普及の象徴的な製品となります。その後いろいろな分野で工業製品の効率的生産体制が発展していきます。と同時に、自動車の普及は道路網の整備を促し、人の移動や物流のスピードを急速に速めていきます。ロードサイドにはファーストフード店やレストランが立ち並び、街並みが大きく変化し、人びとの生活感覚も大きく変化したのは想像に難くありません。わが国においても、1964年の東京オリンピックを契機に、モータリゼーションが進展し、工業社会における高度成長が始まります。人びとは故郷を離れ工業製品を製造する工場へと吸い込まれていき、自動車やバイクのスピード感に順応しながら、時間に追われる忙しい生活をライフパターンとするようになります。 

    1974年に出版された「遊びと日本人」の中で多田道太郎は、当時の日本人の遊びを代表するパチンコを、「騒音は彼らにとって親しい、あるいは親しむべき工場のBG音楽である。農村の環境とはまるで違う。まるで違うところへ、宿命のように投げ出された。その孤独な人びとが、鉄とガラスという新素材に直面して、ただ一本の指の業で熟練と運を競う」「パチンコは遊びではない。それは生産への学びであった。パチンコによって人は機械と対話する術を学んでいる」と評しています。そういえば、パチンコ玉が打ち出され、クルクルと廻りながら落下するスピードは、自動車やバイクがもたらした生活のスピード感と対応しているように思えます。また、規則的な玉の打ち出しと側壁や釘にバウンドして跳ね回りながらも必ず下の穴へ流れ落ちるパチンコ玉の動きは、単純だからこその神秘的な没入感をもたらします。こうした感覚は、工場のオートメーションラインで部品の組立てを規則的に行う経験と同質なものなのだろと思います。パチンコ発展の理由は、工業社会で成長路線にあったわが国において、人びとがパチンコを通して、工業社会のスピード感や工場での機械との付き合い方を疑似体験していたことにあったと考えることができます。

    ところが現在の社会は、超情報化社会へ大きくシフトしようとしています。現在の社会のスピード感は、インターネットを始めとするデジタル技術がリードしていますし、企業においては工場の海外移転が進み、工場就業者数も大幅に減少しています。過去にパチンコが発展してきた社会的基盤が崩れています。「ヘビー」から「ライト」が基本潮流です。こうした状況の中にあってもパチンコ業界は、よりギャンブル性の強いヘビーな方向へ突き進んでいるように見えます。まさに、これから本格化する超情報社会の娯楽(エンターテイメント)に逆行しているのはないでしょうか。

    とはいえパチンコのさらなる発展の可能性は残っています。なぜなら、超情報社会の進展は、価値観の変容をもたらし、エンターテイメントビジネスにとって追い風になるからです。第一の理由は、「まじめにこつこつ」という工業社会的価値観から「楽しく自分らしく」という情報社会的価値観への変化です。第二は、モノはすでに溢れかえっておりこれ以上必要がなく、むしろ心の満足を得るための消費が求められてきます。その代表がエンターテイメントビジネスです。エンターテイメントビジネスは、今後のわが国を支える産業の有力候補のひとつです。したがってパチンコ業界は、時代の転換を踏まえて、超情報社会においても輝きを放つエンターテイメント性を提供できるかどうか、が問われているのです。

3 パチンコになぜはまるのか

    私の限られた経験に基づいていますが、パチンコ玉が当りに入って目の前の画面が回り出すとドキドキしました。ましてや大当たりで玉がジャラジャラ出てくれば、興奮度は相当に高まると思います。パチンコは結構心を動かされる娯楽です。

    脳科学者の松本元はその著「愛は脳を活性化する」の中で、「クライマックスで得た感動が強い刺激になって、それまでに見た場面やシーンに対する学習効果が高まり、われわれの脳の長期記憶へ留まりやすくなる」と述べています。パチンコの大当たりは、こうした脳の働きを促進する典型的な例です。偶然に大当たりを出してしまうと、その経験が鮮明に脳の長期記憶に残って、パチンコにはまってしまい、パチンコに行きたいという欲望を引き出していくに違いありません。また、脳科学者の茂木健一郎は、「なぜ宝くじを買ってしまうのか」という問いに対して、「人間は短期的に損をしても行動を起こしたいとの欲望を持っている」「脳は適切な文脈で提示された不確実性を喜びそれに対して中毒を起こす」という2つの理由から、宝くじを買ってしまう脳の働きを説明しています。(茂木健一郎著「欲望解剖」)宝くじの例は、そのままパチンコにも当てはまります。

    パチンコホールにおいては、たとえ自分が大当たりを出さなくても、同じ条件で遊んでいる人がまわりにたくさんいます。通路をうろついている間にも、必ず誰かが大当たりを出している光景を目にします。また、これ見よがしに積まれたドル箱も目に入ってきます。パチンコホール側の意識的な演出かどうかはわからないのですが、長期記憶に残る強い刺激や球を打ち続ければ大当たりが出るといった文脈への誘導装置がパチンコホールにはたくさんあります。うまい演出が用意されていると思います。

    次は、先に述べた脳の働きを踏まえて、実際にはどういう面白さによってパチンコにはまってしまうのかを考えます。谷岡一郎はその著「パチンコ文化考」で、パチンコ、スロット、麻雀、ポーカー、宝くじなどのギャンブルゲームの面白さを、次のようなキーワードで整理しています。(表-1参照)

表1

    上記キーワードに沿って現状のパチンコを考えると、ランクBの「ドキドキ感の強さ」「爆発力」「勝利期待度」「ルールの簡単さ」がパチンコの面白さになっていると考えられます。一方で、最も重要なランクAの「ドキドキ感の持続性」については、瞬く間に玉がブラックボックスに吸い込まれる現状の機種では期待できなくなっています。「攻略感」については、パチンコ玉を皿に載せレバーを握るだけで、こちらから働きかける要素がほとんどない現状になっており、期待できません。TVゲームのソフトは、おしなべて技量を上げて攻略することに面白さの起点を置いているのとは対照的です。工業社会の象徴である自動車やバイクの速度と対比できる「スピード」については、動体視力やお金を消尽するスピードの面からいって、これ以上の高速化は難しくなっており、アピールポイントにはなり得ていないと考えます。つまり現状のパチンコは、ゲームとしての重要な面白さを失いながらも、先に述べた「長期記憶に残る強い刺激」や「球を打ち続ければ大当たりが出るといった文脈への誘導装置」によって集客していると言えます。換言すると、ゲーム性ではなくギャンブル性に大きくシフトした娯楽になっていると考えることができます。

    レジャー白書によると、1995年に2780万人に達していたパチンコ人口が2005年には1710万人まで減少しています。パチンコをしなくなった約1000万人は、ゲーム的面白さを失ったパチンコに見切りをつけた人たちと推測できます。したがってパチンコ業界は、ギャンブル性に深くはまった人びとの蓄えを絞り取ろうと考えるのか、あるいは、ゲーム性を高めて浅くはまった状態を長期的に持続させようと考えるのか、どちらの立場に立って今後を展望するのかが問われています。

4 日本的な魅力

    東京ディズニーランド、ユニバーサルスタジオジャパンといったテーマパーク、さらにはクリスマス、バレンタインデーといった季節イベントは、現在の日本の娯楽・レジャーシーンを考えると、忘れることのできない場所でありイベントです。すっかり日本的な味付けを施し、今では日本固有の楽しみ方を作り出しているとはいえ、どれもアメリカンスタイルを輸入した娯楽・レジャーです。これに対してパチンコは、海外からの影響をあまり受けずに日本の中で育まれてきた日本固有の娯楽のひとつです。いろいろ調べてみたのですが、パチンコホールの経営者には朝鮮や台湾出身者が多いということはわかりましたが、かといって韓国、北朝鮮や台湾でパチンコが流行していることはないようです。パチンコは、日本で生れ、日本で育ち、日本に住む人が楽しむ娯楽なのです。そこには日本的な魅力が潜んでいるはずです。

    どうしてパチンコが日本的魅力を保持しているのかについて、ひとつの答えを見つけることができました。それは、18世紀の江戸の町で人気のあった「覗きからくり箱」です。当時の版画を見ると、縁日など人の集まる場所で、覗きからくりはよく見られたようです。もともとはオランダからもたらされたもののようですが、江戸時代に創意工夫を施され、江戸庶民のささやかな楽しみとして発展していきました。丁度屋台くらいの大きさで、側面にのぞき穴が空いており、一定の料金を払って3〜4人が同時に見ることができるようになっています。人目を引くように箱の上には、回転木馬などの細工が施されたものが多かったようです。裏側に絵や操り人形が配置されて、様々な世界が見られるようになっていました。代表的なものは、極楽図と地獄図、オランダ風の異国情緒風景、卑俗・卑猥な絵など。時代が進むと、話題性の高い忠臣蔵など時事ネタも題材になっています。当時人気の歌舞伎とは違って、秘かに自分だけの世界に入り込んで、風変わりな絵や人形を見て、ドキドキしながら小さなスペクタクルを満喫していたのだと想像できます。ただ、新しもの好きの江戸庶民を満足させるには、好奇心をくすぐる新しい題材の発掘やストーリー展開に関して相当の努力と工夫が必要だったはずです。そうでなければ、すぐに飽きられてしまい、リピーターを望むことができないからです。まさに、パチンコとよく似た娯楽ではないでしょうか。

    覗きからくり箱とパチンコの仕掛けはほぼ同じです。覗きからくりでは小さな穴から見える世界に集中し没入していきます。パチンコでもガラスで仕切られた小さな空間に集中し、打ち出され流れ落ちる鉄の玉の動きに没入していきます。限られた空間への集中は、日常的な生活からの隔離を約束してくれ、その中では自由に想像力を働かせることができます。また、想定していない未確定の出来事が次々に起こることに好奇心を刺激され、楽しんでいるのです。私たち日本人は、こうした少額の投資で経験できる慎ましい娯楽を好むのだと思います。残念ながら、現在のパチンコは、慎ましく少額で楽しむことができ難い娯楽になろうとしています。本来的な日本的魅力を失いかけています。

    現代の他の娯楽にも、パチンコと覗きからくりと同じような歴史的関係性を、発見することができます。例えば、現代のマンガやアニメは、江戸時代の鳥羽絵や黄表紙が元になっています。カラオケは、江戸時代の連や宴会芸の流れを汲んでいると考えられます。いずれの娯楽も、少額の投資で経験できる楽しみです。ここに、歴史的、民族的な私たち日本人の楽しみのツボを見出すことができます。そして、パチンコがドメスティックな娯楽に留まっているのに対して、マンガ・アニメ、カラオケは、世界に進出し世界中で愛好される娯楽になろうとしています。日本的楽しみの国際化です。ギャンブル性という質的違いがあるにしろ、国際化した他の娯楽を参考にして、パチンコも基本的な魅力に立ち返り、将来を展望しなければこれ以上の発展を望めないのではないでしょうか。

    とはいえパチンコにも、楽しみのツボを押さえれば今後もまだまだ発展の大きな可能性が残っているはずです。したがって、これからのパチンコは、絶えず顧客の好奇心をくすぐり続けられるからくり力(新たな着想と創意工夫)が問われています。

5 腕を上げる面白さ

    フランスの社会学者ロジェ・カイヨワは、その著「遊びと人間」の中で、独特の視点から遊びの分類を行っています。(図-1参照)現代の娯楽を考えるに際しても妥当な分類です。カイヨワは、ルールの有無と意志の有無という2つの視点を設定し、ルールと意志が反映する遊びを「競争」、脱ルールで意志が反映する遊びを「模擬」、ルールはあるが脱意志の遊びを「運」、脱ルールで脱意志の遊びを「眩暈」。遊びを以上4つに分類しました。この分類に沿って現在の日本の娯楽を分類すると、競争に分類される代表的な遊びは麻雀、模擬はカラオケ、運は宝くじ、そして眩暈はスピード系のゲームになります。娯楽に興じる人は、意識するしないにかかわらず、4つの分類に沿うかたちで好みの娯楽を選択し、楽しんでいるのだと考えます。

    カイヨワはこの著作の中でパチンコにも言及し、「騒音は耳を聾するばかり、玉のきらめきは文字通り催眠的だ。パチンコで得られるものは明らかに眩暈であり、眩暈のみである」と述べています。しかし、カイヨワのパチンコに関する見解には賛同できません。なぜなら、確かにパチンコの音と玉の動きは眩暈を誘導するものですが、それだけで楽しんでいるのではなく、大当たりを引き出そうとする努力と集中が人を引きつけているのです。図-1のように、「眩暈」と「運」両方の要素を持った娯楽がパチンコに違いないのです。麻雀、カラオケ、宝くじにはない面白さがパチンコにはあるはずです。父の言葉を借りると、「自分自身の意志が十分働かないのは承知の上で、当りに玉を入れる確率を少しでも向上しようとする意欲喚起がパチンコの重要な面白さのひとつ」ということになります。

図1

    子供から大人への階段を上る際、背伸びした行動がそのトリガーになります。女性であれば中高校生のとき、校則で厳しく禁止されているにもかかわらず、朝化粧をして校門をくぐることになります。男性であれば、酒やたばこに手を出すのでしょうか。これらは、一種の大人の入り口を抜ける通過儀礼なのだと思います。通過儀礼は、健全なものほど気恥ずかしく、今日的に言えばジローラモ風のちょい悪親父的な臭いが必要です。夜繁華街をぶらつくことやバイクをぶっ飛ばすことなども通過儀礼のひとつです。昭和の青春映画を見ると、不良っぽい学生が授業をさぼってパチンコをするのが、悪のお決まりのパターンです。かつてはパチンコも、大人の一歩手前の子供たちの通過儀礼だったのだと思います。しかし、私が高校生の頃まわりでパチスロに凝っていた人はいましたが、パチンコに興味を持った同級生を知りません。パチンコは通過儀礼の対象ではなくなっています。

    なぜ子供がちょい悪の通過儀礼に夢中になるのかというと、今は稚拙でも経験を積んで腕を上げて大人の仲間入りをしようという潜在意識があるからだと思います。化粧も、酒も、バイクも、そしてパチンコも腕を上げるという文脈で理解できます。パチンコがメジャーな通過儀礼でなくなった理由は、腕を上げる(熟練度を高める)という要素が薄れてきたことにあると推測できます。これに対してカラオケは、素朴な腕を上げる(うまく歌う)面白さが残っています。

    ニンテンドーのTVゲーム機Wiiがよく売れているようです。ソニーのPS3やマイクロソフトのX-BOXとは一線を画して、高度な機能性や画像の鮮明さをおさえて、遊びやすさや扱いやすさを売りにしています。ゲームのアナログな部分が多くなっていて、ヘビーユーザーではない私にも簡単になじめ、技量にあった遊び方が可能です。PS3やX-BOXには、パチンコホールへ行って私が感じた無味乾燥とした機械臭と同じものを感じていました。やはり、アナログで技量に合った遊び方ができ、技量の向上がさらなる面白さを生む娯楽が求められているのです。腕を上げる(熟練度を高める)要素が重要になります。

    表-2にあるように、1996年のパチンコ店舗数は17,594店、10年後の2005年は13,163店、4,431店も減少しています。これに対して、パチスロ専門店はこの間に4倍に増えています。私には目の回るようなスピードでしたが、パチスロは技量の向上を図ることによって、狙った図柄を出すことができるゲームだと聞いています。パチンコよりも腕を上げる面白さが備わっているではないでしょうか。パチスロはカジノに元々あったゲームで、運任せが基本です。以前はむしろパチンコの方が熟練度を要求されたゲームだったはずです。しかしながら、上記したパチンコ・パチスロ店舗の推移は、パチンコが高機能化に伴い腕を上げる面白さを忘れてきたことを如実に示しています。

表2

    現状のパチンコは、腕を上げる要素が極端に少なくなっています。高機能なデジタル操作でギャンブル性の強いパチンコの他に、アナログ的要素が残り長く遊べるパチンコも必要になると考えます。TVゲームの例で考えると、WiiとSP3が共存するパチンコホールをパチンコファンは期待しています。図-2に示したように、熟練度に力を入れた2つの方向性に沿った見直しが必要になると考えます。

図2

    現状においても、パチンコ台は、松平健、ヨン様、ジョーズなどエンターテイメント性に注目した開発がされてきています。しかし残念ながら、それらは高機能のギャンブル性の単なる付属品に終わっているのではないでしょうか。パチンコを楽しむ人たちの心を豊かにするためには、現状のエンターテイメント性に、技量を上げ、攻略する楽しさを加えることで、より奥の深い娯楽への道が拓かれていくはずです。熟練度に注目した新たな機種の開発が期待されています。

    先述のように、デジタル技術の粋を集めて発売したPS3がWiiの独走を許しています。また、3連単、3連複といったギャンブル性の高い馬券を開発し一時大きな話題を集めた競馬が、結局は売上減少傾向から抜け出せない状況にあります。こうした例からも明らかなように、高機能やギャンブル性という名の元で、人間的な技量発揮の機会を失うと、長期的に見て娯楽は人びとから愛想を尽かされることになります。したがってパチンコは、腕を上げる面白さを実感できる機種や遊び方を開発できるかどうかが問われています。

6 結び - 大きな期待

    当初に設定した4つの視点からパチンコを分析することによって、次のようなパチンコ業界の課題が明らかになりました。

  • 視点1: 時代の気分とパチンコの関係
  •     「超情報社会で輝きを放つエンターテイメント性の提供」
  • 視点2: パチンコにはまる理由
  •     「主要顧客の選択 - ギャンブル性に深くはまった人、ゲーム性に浅くはまって長期間楽しみたい人、どちらに力点を置いていくのか」
  • 視点3: 日本文化とパチンコ
  •     「顧客の好奇心を持続させるからくり力(新たな着想と創意工夫)の発揮」
  • 視点4: パチンコの熟練度
  •     「熟練度を高め面白さを実感できる機種や遊び方の開発」

    上記の課題に対して、解決方策を提示するのは私の能力を大きく超えることですが、少なくとも現在のパチンコ業界の抱える課題の一端を整理できたと思います。パチンコ業界の根本的な問題は、工業社会的な視野からしかパチンコビジネスを捉えていないように見えることです。1960年代から1990年代前半にかけては、わが国の工業社会の成長に合わせて業界全体が成長できた時代だったのでしょうが、1990年代後半からは同じことが通用しなくなり、ギャンブル性(射幸心の高揚)にシフトしながら売上を確保してきました。そのことが、生活破綻をもたらすパチンコ依存症という悪魔を抱え込むことになったのです。それ以来、パチンコからは明るさが失われ、私は子供の頃からパチンコは危険な大人の遊びという印象を持ち続けてきました。ギャンブル性の高いパチンコにはまったうさん臭い人がたむろする場所というのが、パチンコと縁のない人が抱くパチンコホールの印象です。

    一方で、今回論文を書くにあたり、パチンコホールで玉を打ってみて、文献を調べるうちに、パチンコの面白さは、日本人が作り出した娯楽の傑作のひとつかもしれないと考えるようになりました。独特のドキドキ感、期待感や没入感は、他の娯楽ではなかなか経験できないものに違いありません。イギリス発祥の競馬やアメリカ発祥のスロットルマシーンが世界中で愛好されているように、パチンコも普遍的な娯楽としての面白さを追求し洗練できれば、視界は大きく広がっています。先にも述べたように、江戸時代からの伝統を受け継ぐアニメやカラオケは国際化しています。アニメやカラオケから多くのことを学び、パチンコが21世紀の日本が生んだ「面白からくり箱」になってほしいと思います。

    そのためには、図-2に示したように、これからのパチンコホールは、「デジタル操作で高機能なもの」と「アナログ操作で長く遊べるもの」が併存するスタイルになっていく必要があります。選択肢を顧客に渡し、そのためのソフトを揃えるのが、超情報社会で成功する鉄則です。そして鍵になるのは、「エンターテイメント性(新規性のある独特の楽しさ)」と「熟練度(向上心をくすぐる)」です。プロまがいの人からビギナーまで幅広い顧客がともに遊べる空間でなければ、パチンコが笑顔で語らい合う明るいエンターテイメントなることはできないと思います。娯楽は、人生を充実させるために欠かせないものです。人生の後半を迎えたおじいちゃんやおばあちゃんが、限られた小遣いでパチンコを楽しんでいる光景を想像するだけで、楽しくなります。

    さらに、パチンコホールはもっと美を追求すべきだと思います。ただ目立つだけの建物、看板は、まさに過去の工業社会的な発想です。これからの超情報社会で求められるのは、慎ましくかつ品格のある外観ではないでしょうか。情報の少ない社会では、目立つことが相対的に価値を持ちますが、情報があふれかえる社会では、目立たないくらいの方が逆に注目を集めます。パチンコホールは、街の佇まいに溶け込み、人びとを集客し、街の賑わいを作り出していく。そしてそこでの人びとの関わりの中から、街の活力のダイナミズム生成の場所になるべきです。そこにこそ、パチンコの新たな発展の可能性を見いだすことができる、と私は考えます。

    そして最後に、パチンコが世界に通用する「面白からくり箱」になるために、パチンコホールがめざすべき3つの方向性は、「技量発揮」「エンターテイメント性」「美」の実現です。(図-3参照)

図3

<参考文献>

  • 「レジャー白書2006」 余暇開発センター編
  • 「遊びと日本人」 多田道太郎著 筑摩書房
  • 「愛は脳を活性化する」 松下元著 岩波書店
  • 「欲望解剖」 茂木健一郎著 幻冬舎
  • 「パチンコ文化考」 谷岡一郎著 ちくま新書
  • 「現代日本の消費空間」 関口英里著 世界思想社
  • 「大江戸視覚革命」 T.スクリーチ著 作品社
  • 「遊びと人間」 ロジェ・カイヨワ著 講談社文庫

<参考サイト>


 
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